どうも周囲とうまくいかず、放課後に遊ぶ友達を探すのも一苦労。
特定の子と仲が良い訳でもなく、所謂、親友と呼べる存在も居ませんでした。
今から20年以上前の小学生の頃の話です。
あまり話すのが上手ではなく、自分から話しかけるという事をあまりしなかった。
それも原因の一つかもしれません。
友達と遊びたい気持ちは誰よりも強いけど、それを上手に伝えられないのです。
周りは同じ年の子ばかりですから、そんな気持ちを読み取るなんて事は当然できません。
ようやく遊ぶ約束をしたのは良いけど、当時は携帯電話などもありません。
約束した公園で2時間も3時間も待っている事が数え切れないほどありました。
そのうち門限の17時がやってきて、遊べずに家に帰る事になります。
時には、約束した子が他の子と遊んでいるのを見かける事も。
それでも、そこに混ざって遊ぶ事ができない。なんて言えば良いのか分からないのです。
寂しさが限界に達すると、それが怒りに変わる時がありました。
なんで!昨日約束したのに・・。
翌日の学校で朝一番で問い詰めます。
「お前とは遊びたくないから。」
相手の顔めがけて手が出ます。
ぐっとこらえているつもりでも、周りから見たら我慢するより先に手が出ているのです。
その後すぐに後悔する事になるのですが。手遅れです。
いくら謝っても、本人はおろか周りの子はもう見向きもしてくれません。
母親は毎月のように色々な相手のご両親へ頭を下げてお詫びしていました。
遊んでくれる子も若干居ました。でもそれは私の事が怖いから。すぐ手を出すから。
今思えば、遊んでおかないと面倒臭いからだったのでしょう。
小学4年生の時、担任の先生が男性の先生になりました。
とにかく元気な40代後半の先生。初めての男性の担任の先生。
子供心に期待と不安が入り混じっていたのを覚えています。
そしてこの先生が私の教わった先生の中でいつまでも忘れられない先生となりました。
ある日、先生が帰りの会でこんな事を言いました。
今日の学校が終わった後、先生と遊びに行くやつはいるか。
その頃はまだ毎週土曜日には学校がありました。
午前で終わるので、午後は遊べます。
でも嬉しさ半分、誰か遊んでくれるのかという不安半分。
そんな時にこの先生の提案は非常に魅力的でした。
迷わず手を挙げお昼ご飯を食べて集合場所へ。
集まった人数は僕ともう一人か二人で女の子だったのを覚えています。
普段あまり話した事ないような子達でした。どちらかといえばクラスでは目立たない子。
これは・・・。と思ったのですが、もう引き返せません。
どこに行くのか見当もつかないまま先生を先頭に歩いて行きます。
やってきたのは小川、といっても用水路のような場所で周囲には田んぼや土手、伸び放題になった雑草がある場所でした。先生はその用水路の下流に足を突っ込み、持ってきた網を構えました。そして私に、上流から走ってこいと言うのです。察しはつきます。
捕れるわけないでしょ。
半信半疑で、とりあえず走ったのでした。
すると網の中にはフナやナマズ、ドジョウもいました。
それからはもう夢中で用水路を何往復もして、ついでに田んぼでカエルも捕まえて帰りました。
その間、他の子がどうしていたのか全く覚えていませんが、とにかく心の底から楽しく、満たされた気持ちで家に帰ったのは鮮明に覚えています。
それからというもの、毎週土曜日は先生と網を持って探検に行く事が楽しみで仕方なかったのです。そのうち、今まで私を敬遠していた子達も一緒に遊びに行くようになりました。
どうやら魚や蛇、あらゆる生き物を素手で触れて、たくさん捕れるのは私だけだったようです。いつの間にか私と遊んでくれる子は、怖いから仕方なく、遊ばないと面倒だし。から、
色んな生き物がいる場所を知っている、捕まえ方も上手いし、一緒にいると頼もしい。
に変わっていたようです。不思議とその頃から手を出すような事態になる事はありませんでした。
同時に、先生なしで遊びに行くようになっていました。逆に先生が一緒に行こうよと言っても自分達だけの方が楽しくなっていたのです。
私がこの仕事に就いてから、時々その事を思い出す事があるのですが、きっとあの時先生は私の性格と、周囲との関わり方を見てくれていたんだと思う事があります。
とても楽しく、そして自分が輝ける瞬間に出会わせてくれた先生。
他の先生には内緒で余った給食のデザートを娘に根こそぎ持って帰るような先生。
途中から自分が一緒に遊びに行けなくなり、いじける先生。
そんな、私の先生。
私が感じた事を、少しでも今の子ども達に伝えられたら良いなと思っています。
理事長